「フェミサイドバラッド」について真面目に語る

 「フェミサイドバラッド」は、暴力に出会った時、女に何が起こるのか、どう感じるのか、どうするのか、そしてどうしていきたいのかを私なりに描いた曲になりました。

これを作るとき、寺山修司作詞で浅川マキが歌う「かもめ」という曲が念頭にありました。ざっくり内容をまとめると、それは「あばずれ女」が、ある男と寝て、最終的には逆恨みした別の男にナイフで刺されるというフェミサイドを扱った曲です。

この曲はあくまでも犯人の男の主観で進んでいきます。男は女に誘惑されている、と思い、でも別の男と寝てしまった女を逆恨みして、「バラの花の贈り物」として彼女を刺し、「さよなら、あばよ」とキザに終わります。そして曲調は軽快です。


なんとも嫌な気持ちにさせられる曲で、聴いたあとは、寒いところに取り残されたような余韻が残りました。


私から言わせてもらえば、男たち(あるいは女たちも)が持つファンタジーを投影して、女である人間を分断して、自分達が扱いやすい枠に押し込めようとしているのがこの世の中です。

「かもめ」に出てくる彼女は、その枠から外れたと勝手に認定された被害者です。

彼女は作品の中で主人公の男の気持ちの移り変わりを表すための道具であり、彼女自身の気持ちがわからない存在として描かれます。


ちなみに、同じレコードに入っている浅川マキ作詞作曲「夜が明けたら」は、夜が明けたらこの町を出ていくんだと、女が語る曲です。主観と客観としての女を対照したかったのでしょうか。あるいは、「かもめ」の女の気持ちを歌っていたとも解釈したくもなります。


私は被害を受けた方のことを、主体的に歌ってみたかったのです。


さて、現実では昨年「幸せそうな女性を見ると殺してやりたいと思った」と、それを実行に移そうとした人間がいました。

現実では、勇敢な女性は自力で逃げ、そして勇敢な女性、人々によって助けられ、励まされました。このことに私はとても感動し、女性達の強さ、優しさに胸を打たれました。


その後の状況は、とても悲惨で、NHKのニュースなどでは、最初に書かれていた犯人の発言「幸せそうな女性を見ると殺してやりたいと思った」の文言はいつの間にか消されました。


またSNSでも「あれはフェミサイドではない」と口を塞ぎに来る匿名のアカウントが沢山現れ、冷笑的な態度でデマも流し、脅迫もし、粘着もして、まるで「女は傷つけられていて当然」「女は不幸でいるべきだ」とでも言いたいような女性差別むき出しの気持ちにさらされました。


私は、あの事件の後に駅ですれ違い様に腕を殴られました。それを話すと、笑っている人がいました。


「悪い人間は多少はいるのだから仕方ない」と、私はある人に言われました。それは「悪い人間に多少暴力を受ける女がいても仕方ない」と同じ意味です。


「フェミサイドバラッド」は、私の死にたくなるような絶望感と、人間の強さ、優しさを信じたい気持ちに引き裂かれながら作りました。

なんとか最後は希望に向かって足掻いて曲を終われました。沢山の人、特に女性達に同じように希望に向かって足掻いていく気持ちになっていただけたら、連帯できたら、こんなに嬉しいことはありません。

漕ぎ出せ、海へ。


ババカヲルコ

2022/1/4





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