大森靖子さんと春ねむりさんのツーマンライブ

 MeTooはやめましょう。人と同じ人生はない。誰かとまったく同じ心もない。だから「私も」は危険だ。

「私の場合は」。「In My Case」をきちんと表現できる人間が増えればいいな。

(#KIMOCHI’ MeTooされたくない より)


https://ddnavi.com/article/d469254/a/


これは2018年刊行された大森靖子さんの本にあった言葉だそうです。私は本は読めていません。

この頃、大森靖子さんが自身の性被害の体験をme tooではなく、in my caseとして告白する記事も覚えています。me tooは、それまで言えなかった性被害を伝えあい、性被害のない社会を作るための運動です。大森靖子さんが自分の場合はin my caseと言うのは自由だと思うのですが、影響力ある立場からme tooをやめようというのは、誰かの口を塞ぐことにはならなかったのかな、と疑念があります。

また、2年ほど前のインタビュー記事にはこのようなことが記載されていました。



「告発」はネットで告発をする側の感情をあえて想像してみたのでしょうか?


大森:そうです。告発ってみんな真に受けるじゃないですか。それって怖いことだなと思って。なぜネット告発をするに至ったかって、みんなちゃんと考えてないから真に受けるわけで。よくよく聞くと「そんなことのために?」っていう理由の告発もたまにあったりするじゃないですか。告発しない人には、そうしない事情もある。そういうものは誰も汲まずに告発の内容の派手さだけで、いろんなことが言われがちなので「こんな意図がある人が告発してるかもしれないよ」って曲を作ろうと思ったんです。


https://realsound.jp/2022/10/post-1165184_2.html/amp



はっきり言って二次加害的な発想だと私は思います。


大森靖子さんの曲は沢山聴いたことがある訳ではないですし、とてもたくさんの方が大森靖子さんを好きで、その音楽に支えられてきているのもわかります。

自分の傷つきを音楽に慰められるだけではなくて、傷つきの原因となっている社会構造を変えようとしたっていいんじゃないかと、私は思います。もしかしたら、大森靖子さんは慰められている人がお金払ってくれるので、それがいいのかもしれませんが。


つはるさんは無力無善寺のマスターの性被害を告発していて、大森靖子さんは、その無力無善寺を肯定的に取り上げてきており、自分の社会的な責任や影響についてどう考えているのかよくわかりません。

無力無善寺のマスターは、女性のミュージシャンをレギュラー出演者とするかわりにサシで飲みに誘いました。それであわよくば、というのが手口です。大森靖子さんの影響で出演を希望する若い女性は沢山いました。

そんな大森靖子さんと「搾取と加害の連鎖を止める」と音楽活動をしている春ねむりさんがツーマンライブをするのは私もなんだか複雑な気持ちです。



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